「敬老の日をどうやって子供に説明しようかな?」
子供に聞かれたら、どうやって答えますか^^?
筆者も「敬老の日」は、知っていますが、
実際、深く考えたこともありませんでした^^;
親や学校で、
「おじいちゃんやおばあちゃんに感謝する日」
位にしか思っていませんでした・・・。
子を持つ大人として恥ずかしいです・・・(+o+)。
特に由来などは、全く知りませんでした・・・。
今回は、小さなお子様を持つ皆様が
子供に簡単に説明できるように敬老の日の意味や由来について、
調べてみます^^。
この記事の目次です
敬老の日の子供への簡単な説明はコレ!
“敬老の日とは、人生の、先輩である、お年寄りを敬い、長寿を祝う日。”
つまり、お子様には簡単に・・・・
『おじいちゃんと、おばあちゃんに、元気でいてね、いつもありがとう』って、言おうね。
一番わかりやすい説明だと思います^^。
忙しいご家族が多いとは思いますが、
この日だけでも、出来る限り一緒にいて、
おじいちゃんやおばあちゃんをお祝いする。
お子様の手作りのプレゼントを贈ったり出来ると
もっと喜ばれると思います^^。
お子さんには、このように説明出来たらいいですね^^。
敬老の日の由来は?
では、ここから大人の勉強の時間です。
もう少し詳しく見ていきますよ^^。
実は、二つの由来があると言われております。
二つの由来
一つは、
聖徳太子が悲田院というお年寄りや体の不自由な人を救うための
施設を開いたというもの
二つ目は、
元正天皇が717年に「万病を癒す薬の滝」といわれていた、
岐阜県の養老の滝へ行幸し、
年号を「養老」に改元した故事にちなむというもの
この二つの由来ともあくまでも、
「俗説」にすぎないみたいです^^;。
なので、実のところ、本当の由来は、
別にあるのかもしれません(+o+)。
次に、この二つの説を簡単に見ていきます。
聖徳太子の悲田院とは?
593年に、
聖徳太子が大阪の四天王寺に、四箇院の一つとして建てられたのが
「悲田院〔ひでんいん〕」といいます。
悲田院(ひでんいん)とは・・・
身寄りのない老人、貧しい人や孤児を救うために作られた施設。
ちなみに「悲田」とは、
「慈悲の心をもって貧苦病苦の人を救えば、福を生み田となる」
という意味があります。
悲田院が作られたのが、9月15日。
ここから、9月15日が敬老の日に選ばれたとも言われております。
元正天皇の養老の滝
これは、孝子伝説からの話です。
美濃の国(現在の岐阜県)に、
源丞内(げんじょうない)という貧しい若者がいました。
丞内(じょうない)は、老いた父を家に残して山へ薪(まき)を拾いに行き、
それを売って米や父親のための酒を買うのが毎日の日課でした。彼は、きこり(樵)でした。
ちなみに彼の父は、目が不自由でしたが、
唯一の楽しみはお酒でした^^。ある日、丞内が山の中で転んで眠ってしまったところ、
夢の中でお酒の匂いがしました。そして目がさめると、お酒が湧き出る泉が近くにあり、
丞内はさっそく、父にその酒を与えました。
すると父の目が見えるようになったそうです。この事から、お酒の泉は、
不自由な体を直すということで有名になりました。このお話が、当時の元正天皇の耳に達し、
実際にその場所に来られ沐浴をされたそうです。その効果を実感した元正天皇は、のちに
丞内を、美濃の守に任ぜられました。
という話から由来しています^^;。
少し長くなりましたが、
このお話が、敬老の日と結びつくのは、
元正天皇が美濃国(岐阜県)に出発したのが、
9月中旬だったそうです^^;。
この事から、9月15日を敬老の日にしたと言われています。
近くにある「菊水泉」という泉といい伝えられています。
敬老の日とは?
上記2つの由来が日にちに関する話です。
では、実際の敬老の日が作られるまでを見ていきます。
実際の由来^^;?
もともとこの「敬老の日」は、
兵庫県の多可町という町で行われていた
「としよりの日」という、敬老会が起源だとされています。
昭和22年9月15日、
当時、野間谷村(現在は合併して多可町になっています)の村長だった門脇政夫氏が、
「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村づくりをしよう」
と、村のお年寄りを集めて敬老会が行われました。
この敬老会は、農閑期に当たる9月中旬の15日と決めて開催。
そして、その日からこの敬老会を「としよりの日」と呼ぶようになり、
これが、のちの昭和41年に、「敬老の日」として、国民の祝日となるのです。
敬老の日と決まるまで
「敬老の日」という名称に落ち着くまでには、
長い期間を要します。
1951年に、中央福祉協議会が、
「としよりの日」と定めましたが、
この名称に各地で議論がおこりました。
結果、1965年に現在の「敬老の日」となります。
敬老の日は、1965年に、
「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う日」と、
法律で定められました。
長寿のお祝いは何がある?

敬老の日をだいぶ理解していただけたかと思います。
お祝いするついでに長寿のお祝いも覚えておくといいですね^^。
数え年 | 賀寿 ・ お祝い名称 | お祝い色 | 由来 |
---|---|---|---|
61歳 | 還暦祝い | 赤 | 年女年男は12年に1度まわってきますが、 生まれ年の、干支に戻るのは満60歳の時。 暦が還ってくるまで長生きできたことを 祝うのが還暦です。 |
70歳 | 古希の祝い | 紫 | 唐の詩人・杜甫の、 「70歳まで生きるのは稀である」と、いう詩に 由来した長寿祝いです。 この詩が詠まれたのは、1300年も昔のこと ですから、70歳まで、長生きする人は、 かなり少なかったのでしょうね。 |
77歳 | 喜寿の祝い | 紺、紫 | 「喜」をくずして書くと「七十七」と、読めることに 由来した長寿祝い。 この頃には「また年をとってしまった」と、 思うより素直に長生きの喜びをかみしめる方が 増えてくるようです。 |
80歳 | 傘寿の祝い | 黄、紫 | 傘の中に、「八十」が隠れていることに、 由来するお祝い。 傘寿を迎えた方が周りの人に、 太白餅を配る習慣も残っています。 |
88歳 | 米寿の祝い | 黄、金 | 「お米を作るには88回の手間がかかる」と いわれますが、米の字には「八十八」の 数字が隠されています。 これが88歳を米寿としてお祝いするように なった由来。 一般的には、お米の色にちなんだ物を、 贈ると縁起が良いとされています。 |
90歳 | 卒寿の祝い | 黄、金、紫 | 卒の略字「卆」が、九十と読めることに ちなんだ90歳を祝うお祝いです。 米寿のすぐ2年後というのもあり、 特別に盛大なお祝いをする地方は少ないようです。 |
99歳 | 白寿の祝い | 白 | 百という字から、一を引くと白。 百歳まで、あと1歳というところまできた 99歳のお祝いが白寿です。 |
100歳 | 百賀の祝い | 特になし | 文句なしにおめでたい百歳のお祝い。 今の日本にはめでたく、 百寿を迎えた方が、6万人近くいらっしゃるそうです。 |
まとめ
いかがでしたでしょうか^^?
今回は、敬老の日の意味や由来、
子供への簡単な説明の仕方についてまとめてみました。
おじいちゃんやおばあちゃんも、
元気でいてくれる間に感謝を表し、「ありがとう」とお伝えください^^。
また日頃の感謝をこめて、
お子様と一緒に簡単なプレゼントを作って、
贈るのもいかがでしょうか。
すごく喜ばれると思います^^。
敬老の日の子供からのプレゼントについては、こちらを一読してください^^!
平均寿命が伸びている現在では、
60歳で還暦祝い(長寿のお祝い)というのは、
逆に怒られちゃいますよね(*^_^*)。
「いつまでもお元気で!」という意味合いで、
にぎやかにお祝いするのが良いと思います\(^o^)/。
皆様の参考になれば、嬉しいです^^。
今年の敬老の日も素敵な一日にしてください。