「お花見って何?」
「お花見の意味や由来とか知ってる?」
子供から聞かれたり、そもそも花見の意味ってなんだろうと
思った事ありませんか?
春の楽しみの1つであるお花見。
独身であれば親しい会社仲間や友人と、
桜の下で美味しいものを食べながらどんちゃん騒ぎ、
お子さんがいればお弁当を持って遠出する人も多いですね。
しかし、桜を愛でることよりも、つい美味しい物が
メインになってしまいませんか^^?
筆者は「花より団子」になっています・・・^^;。
外で食べることで、いつもより美味しく感じますからね。
「花見っていう割に桜見てないね」なんて、
子供に痛いところを突かれる人もいるのではないでしょうか。
食べ物が美味しくワイワイと騒ぐだけでも楽しいですが、
お花見の意味をきちんと理解できれば、
お花見がより楽しめるかもしれません。
今回は、桜のお花見の由来や意味の紹介と子供への説明について
まとめてみます。
桜のお花見の由来とは?

お花見とは、そのまま花を目で楽しむことを言いますが、
今では花見と言えば桜を見ることを指します。
花の名前を一番最初につけて表現するのです。
花見の「花」には、花と言えば桜という考え方が伺えますね。
それだけ桜は、多くの人の目を楽しませ続けた歴史があるのでしょう。
しかし、お花見と言えば桜となったのは平安時代から。
それまでは、お花見と言えば梅の花を愛でることでした。
平安時代の短歌が、桜と梅を詠んだものが多いのはこういう理由だったのです。
平安時代に編纂された歴史書、「日本後紀」によると、
嵯峨天皇が催した花宴の節という宴が桜のお花見の起源だとされています。
桜を愛でながら、歌を詠んで楽しんだそうです。
ひたすらに優雅に過ごすことが大切であった平安貴族は、
花より団子やどんちゃん騒ぎ、というわけにはいかなかったのですね。
こうして一部の特権階級の間では、「をかし」なイベントとして
広まったお花見は、戦国時代となっても盛んに行われました。
いかにも体育会系な武士たちも、その対極にいるかのような
文系の貴族の優雅な文化や振る舞いに、
尊敬のようなものを感じていたのかもしれませんね。
豊臣秀吉が行ったお花見はそれはそれは盛大で、
庶民の耳にも届き話題となるほどだったと言います。
この後、徳川幕府は庶民も桜が楽しめるように、
桜の植樹を積極的に行いました。
この時代に開発されたのです。
鑑賞価値が高く、比較的短期間で成長するソメイヨシノは、
瞬く間に全国に植えられるポピュラーな桜となりました。
桜のお花見の意味とは?

一方、庶民にとってのお花見は貴族と違った意味合いがありました。
もともと、花見の習慣そのものは、
嵯峨天皇が開催した平安時代よりもさらに前、
奈良時代には既に存在していたのです。
この頃の花見は花の美しさを楽しむ、
というよりも神事としての意味合いがありました。
意味の「クラ」が組み合わさり、「サクラ」と呼ばれるようになった
というのが主流の説。
だんだん暖かくなる時期に花を咲かせるので、
田植えを始める時期の目安としても重宝されました。
さらに、花見の対象が桜となる前の梅は別名「春つげ草」とも言い、
春の訪れを告げる花。
現在のように正確な気温を知る術がない昔であれば、
梅や桜は、田植えのタイミングを計るのに
重要な花だったと想像がつきます。
特にこの頃は、庶民のほとんとが自給自足だった時代なので、
田植えができないことが、そのまま食料難に繋がります。
田植えの時期を知らせる桜は田植えを司る神様の特別な場所として、
大切にされたのは当然の成り行きだったのかもしれません。
実際、神事として特色が強かった頃は、
桜が咲くのはサ神が天から降りてきた
サインと考えられていました。
花の根元に食べ物などをサ神へお供えし、
秋の豊作を願ったのです。
また、お供え物は神様に捧げられた特別なもの。
お供えした後の食べ物は、下げた後は皆で分け合いましたが、
これはサ神の力を体へ宿したり、汚れを祓う狙いがありました。
この考え方は現在でも、お供え物や鏡餅などに
通じる物がありますね。
時代の流れの中で、農業の生産性が向上し、
サ神の信仰は薄れましたが、桜の下で美味しい物を
食べて楽しむ習慣だけは残ってきたのです。
子供への簡単な伝え方は?
子供にお花見の意味を伝えるには、簡潔にする必要があります。
しかし、特権階級では風流を楽しんだ歴史と、
庶民にとっては田植えを司るサ神の信仰行事のため、
とお花見の意味には2つのポイントがあります。
どちらも詳しく話そうとすると、どうしても長くなりがちなので、
お子さんのイメージしやすい方にポイントを絞って説明するのがオススメです。
貴族たちの歴史を重点的に話す場合
「昔の偉い貴族という立場にいた人たちは、
優雅に過ごすことがとても大切だったの。まるでおとぎ話のように、
ゆったりと美しく過ごすことね。そのときは、美しい物や消えてなくなりそうな
物(儚い物)のことを、短歌っていう短い詩にして
表現するのがブームだったの。桜はキレイだけど、あっという間に散ってしまうよね。
この桜の特徴に注目して、昔の天皇陛下の嵯峨天皇が、
貴族の人たちを集めて桜をテーマに短歌を読む会が開催されたの。これがお花見の始まりで、江戸時代に
庶民が楽しめるようになったの。お花見できる場所が色々な所にあるのは、
江戸時代に桜をたくさん植えたからなんだよ。」
サ神様の信仰を重点的に話す場合
「昔は今みたいに天気予報やカレンダーもないから、
気温とか日にちが正確に分からなくて、
お米を植えるタイミングが難しかったの。桜はちょうど田植えにぴったりの時期に咲くから、
田んぼの神様が降りる場所と考えられていたんだよ。だから、桜が咲くとサ神様が降りてきた合図ということで、
お供え物をして、お祝いをしたの。農民にとってのお花見は、サ神様のための
お祭りという意味もあるんだよ。実は、この神様へのお祝いは嵯峨天皇の短歌を詠む会よりも古くて、
710年頃にはもう風習としてあったとも言われているの。今はお米を作る人も昔よりずっと少ないし、
もう桜が咲くのを合図にして田植えにすることもないから、
サ神様のことは忘れられかけてるけど、
桜の下でお祭りする習慣だけは残ったんだね」
という風に説明しましょう^^。
もちろん、年齢によっては長い話や短歌や優雅といった
難しい言葉も理解できることもあると思います。
そう言った場合は、両方のポイントを交えながら説明すると、
お花見の意味の理解が深まります。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は、お花見の意味や由来についてと
簡単な子供への説明についてを調べてみました。
今まで、筆者は意味や由来も知らずにお花見を
ワイワイ楽しんでいましたが、当時の農民の花見の意味には
ただ感心するばかりです。なるほどとも思います。
先人の生きる知恵は凄いです!
もう一度、簡単に由来と意味をまとめますと
お花見の由来とは・・・
◆ お花見と言えば桜となったのは平安時代から。
◆ 歴史書、「日本後紀」によると、嵯峨天皇が催した
花宴の節という宴が桜のお花見の起源だとされている。
◆ 徳川幕府は庶民も桜が楽しめるように、桜の植樹を積極的に行った。
◆ 日本中の桜の8割を占めるソメイヨシノは、江戸時代に開発されたもの。お花見の意味は・・・・
特権階級や貴族の間では・・・
◆ 桜を愛でながら、歌を詠んで楽しんだ。
◆ 一部の特権階級の間では、お花見が「をかし」なイベントだった。庶民の間では・・・
◆ 神事としての意味合いがあった。
⇒桜は、田の実りを司る「サ神」様が
座る場所という意味の「クラ」が組み合わさり、
「サクラ」と呼ばれるようになったというのが主流の説。
◆ 桜が咲くのはサ神が天から降りてきたサインと考えられていた。
⇒花の根元に食べ物などをサ神へお供えし、秋の豊作を願った。
意味合いだけをみると、貴族と庶民の間には、
大きな差がありすぎですよね^^;。
意味を少しでも理解して、お花見を楽しめれば、
もっと素敵なお花見になりますよね!
これで、あなたも桜の開花予想士になれるかも!
皆様の参考になれば幸いです^^。